予定表は、すぐに埋まってしまう。仕事、メッセージ、やるべきこと。それに、休むために始めたはずなのに、いつの間にか義務になってしまった趣味。一日の終わりには、たくさんのことを片づけた気がする。それでも、その日をどんな気持ちで過ごしたのかは、案外思い出せない。
暮らしには、予定のない余白が少し必要なのかもしれない。次の一時間を効率よく使うためでも、休息をもう一つの成果にするためでもなく。ただ腰を下ろし、机の端から端へと光が移っていくのを眺める。答えの出ない考えが、心の中をゆっくり通り過ぎるのに任せてみる。
私たちは、何かの役に立つかどうかをよく尋ねる。でも、それが自分を落ち着かせてくれるかどうかは、あまり尋ねない。今すぐ役立つわけではない本を数ページ読む。少し遠回りして歩く。食事をいつもよりゆっくり味わう。そんな小さなことが人生を変えるとは限らない。それでも、今ここで暮らしているという実感を取り戻させてくれる。
余白があると、忙しさに隠れていた気持ちも浮かんでくる。疲れているなら、疲れている。好きなら、好き。それをすぐに解決しなくても、一つひとつに理由をつけなくてもいい。気づけたこと自体が、すでに始まりなのだから。
もちろん、現実には済ませなければならないことがたくさんある。余白をつくるのは、責任から離れることではない。責任と責任のあいだに、少しだけ自分で選べる時間を残すこと。その時間をどう使うか、自分で決められる。あるいは、しばらく何も決めずにいてもいい。
ときには予定表を閉じて、この一日にこれ以上の成果を求めずにいられたらと思う。風があり、光があり、急かされない時間がある。ただ、それだけの普通の一日として。