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自分を見つめる

何に心を向けるかを、やさしく選ぶ

外へ向かい続ける視線を戻し、本当に時間をかけたいものへ。

ときどき、疲れるのは何かをやりすぎたからではなく、心があちこちを行き来し続けたからなのだと思う。文章を読もうとしたら通知が光る。何かを始めようとしたら、誰かの進み具合が目に入る。時間はまだあるのに、集中する力は細かなかけらになってしまう。

集中は、意志の強さの問題として語られがちだ。でも、まわりのあらゆるものが別の場所へ誘ってくるのなら、意志だけで踏ん張るのはつらい。自分の意志の弱さを責めるより、まず環境を少し簡単にしてみる。スマートフォンを遠ざけ、不要な通知を切り、机には今使うものだけを置く。

もう一つ、問いかけたいことがある。私は、本当にこれに時間を渡したいのだろうか。何かに心を向けることは、作業を終えるための手段だけではない。何に親しみ、何を記憶し、やがてどんな自分になっていくかを、少しずつ決めていくことでもある。

一つを選ぶことは、ほかのことをしばらく待たせておくことでもある。見逃した投稿を、全部読み直さなくてもいい。関心のない話題に、無理についていかなくてもいい。世界は広く、一日は短い。それを認めることは、残念なことではない。

今日は本を一ページ丁寧に読めた。あるいは、誰かの話を最後までちゃんと聞けた。それだけでも、確かなことだ。目の前のものに心を向けるのは、練習であり、やさしさでもある。物事には誠実に、自分の限界には寛容に。